日本生まれ、資本主義育ち
iPod の新製品
ウイニングイレヴン*1の新製品
カメラメーカのフィルムからの撤退*2
これらのニュースを聴くたびにすかさず迷わず、獲物を見つけて急降下するハゲタカのごとくとびつく(購入する)友人がいる。周囲のみんなは彼のことを「資本主義の申し子」とか「物欲界の貴公子」とか「買いすぎくん」などと噂する。そこには「嫉妬」と「羨望」と「侮蔑」と、幾ばくかの「敬意」(その経済力!)が含まれている。
とはいっても、iPod もiMac も、コンタックスもPS2 でさえ持っている自分には、ホントはそんな風に彼のことを揶揄することはできないし、みんなだって「ヴィトンの新作」とか「倖田來未の新曲」とか「日産の新車」とかが出るたびに「欲しい」か、もしくは「買っちゃう」わけだから、つまり言ってしまえば、みんな「資本主義の申し子」なのであって、もっというと「資本主義教」の敬虔なる信徒なのである。
温故知新ならぬ温新知新。
「新しきをあたため、新しきを買う。」この唯一にして、絶大なる教典に従い、今日も無為な消費活動に明け暮れるのである。
シカゴという街を舞台に、通り過ぎゆく人々や荒廃した景色を通して、いまはなくなってしまったものたちへの哀愁や、シカゴの街そのものに対する郷愁を綴ったスチュアート・ダイベックの「シカゴ育ち」。*3
短編と短編との合間に差し挟まれた1、2ページのショートショートの中に「なくしたもの」という作品がある。子供のなくしものが番組が終わる前までに必ず見つかってしまうという子供向けのラジオ番組を聴きながら、主人公は、なくしたものについて考える。
---シカゴ育ち「なくしたもの」より
誰かが何かをずっと欲しがっていたなら、自分のものになったことはなくても、やっぱりそれはその誰かのものじゃないだろうか。そしてそれは、なくしたものじゃないだろうか?
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自分が「欲しい」と思っているものが、以前所有していたものかもしれないと思うことができれば、「欲しい」という欲望の本質を見ること可能かもしれない。また買わなければならないほど、それを欲しっているのか?と。
---シカゴ育ち「夜鷹」より
女を失って、彼は知った。永遠とは、何かがあることではなく、ないことなのだ。
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欲しいという気持ちが購入という行為でしか充足され得ないのは、こういうことです。たんに「ない」という状況に我慢ができないだけ。
合コンでの用例:
「ヴィトンもBMW も、なくしちゃったんだよね。」
(遠い目)
うそつき呼ばわりされないように注意が必要です。
ゴールデンウィークを利用して仙台の友人のところに遊びに来ています。来る途中、高速道路の大渋滞に巻き込まれ、到着するのに9時間(普段なら5時間半くらい)もかかりました。「1日を無駄にした。」という感覚に陥りながらも、そういう風に思うこと自体が、資本主義教の教えに端を発っしているのだと思ったりしました。
通り過ぎ行く景色をみつめることの大切さを再発見したい人はこちら。(図書館でもいいけど)
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シカゴ育ち 著者:柴田 元幸,スチュアート・ダイベック |
*1 年に二回は新製品がリリースされるコナミの大人気サッカーゲーム
*2 デジタルカメラの影響で各カメラメーカはフィルムからの撤退を余儀なくされている
*3 例によって柴田元幸訳
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