ぼくは勉強ができない
もし、まだあたながこの本を読んだことがないというのなら、できるかぎり迅速かつすみやかに本屋に走って買ってきた方がいいと思う本がある。山田詠美著、青春小説の名著中の名著「ぼくは勉強ができない」。(こんな言い方が傲慢だということは承知しつつも、それ以上の情熱を込めて。)
村上龍のエッセイ集「すべての男は消耗品である」の記念すべき第一集の角川文庫版の解説で、山田詠美は、村上龍のことを「これでもか」とばかりに辛辣にこきおろしている。ずいぶん前に読んで、いまは手元にもないので、詳しくは覚えていないのだけれど、とにかく「村上龍ごときにそんなこと言われたくない」というような憤慨が、文章全体から滲み出た、解説としては不適当とはいえ、とても面白い文章だったことを記憶している。
その後、山田詠美はだれかとの対談集でも、本気でその時期の村上龍のことを酷評してた(これもなんっていう本だったか忘れてしまった)ので、とにかくそれほどまでに村上龍による「消耗品」発言が気に障ったようである。(ちなみにその後なかよく和解してる。)
たしかに「すべての男は消耗品である」という言葉は、使い方が難しい。これを女性が発した台詞ととるならば、根拠のない傲慢さがもたらすある種の「ユーモア」として受け止めることができそうだが、これを村上龍のような男性がいうと「ユーモア」ではなく、自嘲気味の「アイロニー」と受け止められかねない。
あらゆるユーモアは、原則的に笑いに帰依(苦々しさをともなったとしても)するが、アイロニーとなるとよくて冷笑、大半は不快が伴うものである。たしかにアイロニーとして「消耗品」発言を読み取ろうものならば、そこには、男尊女卑を逆説的に肯定しているような印象が含まれてしまいます。とはいっても悪意のない村上龍は、その後もめげずに「悪意のないアイロニー」として、同名のタイトルのエッセイ集を長く刊行し続けたので、いまとなってはもはやそれが愚かしいタイトルとは受け止められていないけれど。
はじめてその解説を読んだときは、それまで「うんうん」なんて頷きながら、素直に読み進めていただけに、自分まで怒られているような気分になったものです。それで、「おぉ、なんだこの女」と思った記憶がある。(まだ、10代だった。)
山田詠美の「ぼくは勉強ができない」は、一般的に「勉強ができない」ということの美徳を、男子校生である主人公「秀美」の成長の過程を通してユーモラスかつ爽快に描き出した作品として、広く読まれています。そのような読み方をして、最高に素晴らしい青春小説です。
ただし、そういった単なる青春小説に収斂するかというと、それだけでないのが山田詠美のすごいところ。
本書の最後に挿話された「眠れる分度器」の終盤、秀美の母である仁子は、秀美が毛嫌いする担任の先生をお酒に誘うシーンがある。きっとこれからも変る可能性は薄いであろう、この担任の男性と一緒にお酒を飲むシーンをつくることで、山田詠美は、この小説内の大きな流れに小さなくさびを打ちこんでいる。
山田詠美は、単に「勉強ができるだけの男」も見捨てずに男子として取り扱ってくれるのである。すくなくとも「消耗品」なんかではないと。
思うに、山田詠美が村上龍に対して怒ったのは、まさにこの視点なのではないかと思う。「あなたが消耗品っていうのは勝手だけど、わたしが愛している人たち(男性)と一緒にしないで!」と。そう考えると、山田詠美は大人の男達の情操教育を果たさんと崇高な使命を担った作家といえそう。
ただし、ここで男性諸君が注意しなければならないのは、山田詠美に男子として扱われるということには「誇らしさ」以上の、恐怖心に似た「プレッシャー」があるという点だ。そう、まさに山田詠美に消耗品にされてしまうのではないだろうか・・・というような。
合コンでの用例:
「すべての女は消耗品なんだよ」
ぶんなぐられます。
さて、読んでないなんてモグリ。
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著者:山田 詠美
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