国家の品格、日の名残り。
いろんなところで「もっかい武士道とかいうのはバカげてる」みたいな話を聴いていて、それは確かにバカげてるなぁと思っていたのだけれど、ちょうど「品格」について書かれた小説のことを紹介しようと思っていたので、一応読んで見た。藤原正彦著「国家の品格」。(立ち読み)
数学者として大成しないことの反動で「論理じゃなくて武士道」みたいなことが書いてるのか(そういう言及を各所で読んだ気がする)と思いきや、「論理も大切だけど武士道」というようなことを言っていて、しかももっと要約すると、「情緒を養うために本を読め」「数学も勉強しろ」「戦争はするな」というようなまともなことが書かれてた。警句的なんだけど、ページ数が足りないせいで説教臭い。
読んでいて思ったのが、著者の藤原正彦は、単なる「新書」のつもりでテキトーに書いたんじゃないかということ。そしたらなぜだか「すっごい売れちゃった」。「ボクがモテないのは、まわりの女性の目がおかしいから」なんて、国家について、しかもその「品格」について書いた文章で、そんなことを言うくらいだから、相当軽いノリで書いたんじゃないだろうかと思う次第なのです。
読み終えた感想は、別に買ってあげてもよかったかな・・・というような反省。でも、正直2回は読まないので買わない。(すいません)「ベストセラー作家になったら突然モテはじめた」みたいな顛末について本を書いてくれたら、それはきっと買わせていただこうと思います。
さて、オススメの本命は、おなじく「品格」について考える一冊。カズオ・イシグロ著「日の名残り」について。
由緒あるお城の由緒ある執事として「品格」を追求した日々のメモワール。
さすが執事。話が脱線するにもいちいちくどくどと、うざったい説明を読者に断った上で、「ある日の父について」なんか語り始めたりする。(しかもなかなか止まんない)それで、その冗長な語り口ながらも、主人公がこれまでの執事の歴史や過日の出来事を振り返りながら、「品格」の本質に迫ろうとする試みだということに気付く。
それで「品格」について考えながら読み進めると、「品格」の追求の書とみせかけておいて、過日の淡くそしてほろ苦いロマンスの思い出にたどり着くというヅッコケぐあい。(確信犯)
「新しい主人がアメリカの方だから最近はラジオでユーモアについて勉強してる」なんていう告白まで飛び出す。さすが執事。まるで成績優秀な高校生が、人並みにモテたいからと、真剣にホットドッグプレス(休刊)を読むようなかわいらしさを垣間見る。
ただし、そこはかとないユーモアの裏に「品格の追求」が「応答=責任」という他者への追従型の行為であること、またその盲目的な追従が「自ら選択する」という判断力を失わせてしまったという自己批判を潜ませます。
以前には間違いなく存在していた「品格」が、現代においては成立しないことへの警鐘であり、さらに残念ながらそれ(品格)を取り戻すことが解決策ではないことを伝えようとしているとも言えます。
少なくとも「国家の品格を取り戻しましょう」なんて安易にはお話できないことだけは確か。
合コンでの用例:
「ホットドッグプレスが休刊しちゃったから、最近はドストエフスキーを読んでるよ。」
さて、「国家の品格」を読んで品格を取り戻したいと思われた方も、武士道なんてダサいという方も。こちらです。「品格を取り戻す」なんて大義じゃなくて、「ラジオで主人の笑わせ方を勉強する。」みたいな遠回りが滑稽で微笑ましい。「いまどき文学でモテ方を勉強する。」っていう本サイトのコンセプトにぴったりです。土屋政雄さんも名訳。
|
日の名残り 著者:カズオ イシグロ |
| 固定リンク

最近のコメント