うんこに思想はない
たしかに、と思った。
うんうん、と深く頷いた。
ボクはいま27歳、18歳の時期にこの本を読んだ。
村上龍「69」の話。
18歳という、人生の過渡期にこの本に出逢えたことを、ボクはいまでも感謝している。できれば、もう少し早く出会いたかったと思わないでもないけれど。
みんなの爆笑の明確な対象として、ときには謂れのない嘲笑や憎悪を一身に浴びながらも、少年たちの清い人格形成のために、必要悪として機能する孤高の存在。
その爆発的な「笑い」のポテンシャルは、その無思想性によるものだったことを、白日のもとにさらしたのは、だれあろう村上龍だった。
資本主義によってスポイルされゆく同時代人達の知性に対し、積極的に警鐘を鳴らすことを自らの使命とした村上龍の、鋭利なまでに鋭い作家としての才能(鋭い嗅覚!?)がなせる技である。
「うんこの無思想性」
これは、高校生が社会にでるまでに、必ず知っておくべき必須の知性である。さもないと、とりあえず「うんこ」と言っておけば笑わせることができた、それまでの周囲の環境と、新生活とのギャップに気づかずに「うんこ」「うんこ」と連呼し、周囲の失笑を買うばかりである。
そう、影で「うんこマン」と揶揄されることは請け合いだ。
合コンでの用例:
「うんこって言えば笑わせられるなんて、思ってないし、そんなに子供じみてないんだよ、オレは。」(トイレから帰ってきて着席する際に)
さて、掲題のうんこのくだりは、実際、学生時代に電車の中でこの本を読んでいて真剣に笑いをこらえるのに苦労した箇所だけれど、それは別として、大人になることと、「楽しむ」という行為は、基本的に相反するものではないのだということを、率直に感じることができる素晴らしき青春小説。
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69(シクスティナイン) 著者:村上 龍 |
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