労働してるからってそれがそんなに正しいとは思えないわ
格差という問題を考えるとき、前提として成立しているのは「経済的に豊かな組」と「経済的に貧しい組」という定義です。よって格差を問題視し「格差をなくしましょう」という場合、「勝ち組(豊か)」というグループと、「負け組(貧しい)」というグループを定義して、そのグループ間の距離を縮める方法について模索します。(便宜的に「勝ち組」と「負け組」という言葉で表します。)
この「勝ち組」と「負け組」という関係に見落としがちなのは、その構成が「勝ち組」の側から「お前らは負け組じゃぁ!」とか言われて発生しているわけではなくて、むしろ「いや、うちら負け組なんでもう少し優遇してくださいよ。」といったような「負け組」側からの訴求によるという点です。
そもそも「勝ち組」に所属する側は、マリー・アントワネットの「パンが食べられないならケーキを食べればいいのに。」発言よろしく、もともとそれが普通の状態なのであって、「負け組」とされるグループが「負けました」と白旗をあげたときに初めて「勝利」した側にいることに気付くことになるのです。
つまり、「勝ち」とか「負け」という関係を強化しているのは「勝ち」側の押しつけなのではなくて、「負け」と定義されている側の敗北意識そのもの、それは経済的に豊かではないという事実が、すなわち「敗北」を意味する社会体制の容認に他なりません。
といっても「敗北している側の自己責任だ」というようなことが言いたいわけではありません。思うのは、もしかしたら「経済的な豊かさ」というのは「過剰な豊かさ」でしかないという点、それとその所与がすべからく「労働」に依存しているという点です。そこに一考の余地があるように思うのです。
1960年代後半、全世界的な学生達による革命機運の中で、当時のフランスの若者達に圧倒的な支持を受けた青春小説の名著ボリス・ヴィアン「日々の泡(うたかたの日々)」では、「労働」は忌避すべきものとして描かれています。
ヒロインのクロエは物語中盤、肺に睡蓮が咲くという謎の病気を患いますが、その病気の原因は「労働」を目撃してしまったことです。かわいくて才気あふれるクロエが病気にかかる寸前、主人公コランと交わす会話は「労働」を自明のこととして「勝ち組」に所属しようとする意思を抱える(意識してようとしてまいと)現代の若者達への辛辣な警句として受け取ることができます。
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クロエ:
労働してるからってそれがそんなに正しいとは思えないわ
コラン:
労働は正しいと聞かされているんだ。一般には正しいと考えられているし。でも、実際はだれもそんな風には思ってない。習慣でやってるんだ。正確に言えば、そんなこと考えないぐらいだよ。 − 中略 − 彼らは労働せずに生きられる機械をこしらえる労働をしないで生きるために労働しているっていことなんだ。
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だから労働するなって言いたい訳でもありません。
必要なのは「労働」を揚棄し「勝ち - 負け」の関係性そのものを解体しようという試みです。「勝利」という結果に満足を感じない、さらに「負け組」に甘んじる勇気がある。そういう人達が繋がれるコミュニティがあれば、そもそも「格差」というのはきっと生まれないような気がします。
それを標榜できるなら、スタート地点が「働きたくない」というのでも、とりあえずはいいと思う次第です。
そう、「今朝も仕事いくのヤダなぁ。」だけのことかも。
合コンでの用例:
「勝ち負けの関係から一歩抜きん出た存在なんだよね。オレ。」
さて、コランとクロエ(付け加えるならば、ダメなシックとかわいそうなアリーズ)の迎える恋愛の結末について語ってしまうのはヤボ。いままさに労働に関与しようとしている方も、すでに労働してしまっている方も、「労働なんてしたくねー。」と率直に思っていたあの頃のことを思いだしつつ、うたかたの日々を振り返ってみては。
著者:ボリス ヴィアン
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