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2006年3月31日 (金)

リーダーフレンドリーという落とし穴

仕事の関係で、教育関連資料の構成を決めたり、関連資料の事前レビューをすることがあるのですが、最近時流で動画コンテンツのレビューという業務が舞い込みます。この動画コンテンツのレビューというのが、いままでの紙ベースの資料のレビューに比べると格段に楽チンなのです。

なぜか?

当然のことですが、動画の方が断然分かりやすいのです。「敷居が低い」と、端的に言えばそういうことでしょうか。覚える言葉が多すぎるような種類のものを除いては、「あれがこうなって、これがこうなる。」なんていう情報は、文字で読むより、動画でパパッと見た方が断然理解しやすいようです。

それで思ったのですが、動画コンテンンツを作成するアプリケーションの価格が下がってきていることと、アプリケーションのユーザビリティの向上なんかから考えても、今後その手の動画コンテンツというのは、ネット上に加速度的に普及していくような気がします。

ここで注意しないといけないのは、「わかりやすさ」というのが「読解力」をスポイルさせるということです。映画やテレビは、民族のイデオロギーの形成に大きな影響を及ぼしました。動画コンテンツが、さらに普及していくようであれば、その先に考えられるのは、テレビや映画が及ぼしたそれに似た状況なのではないかと思います。

合コンでの用例:

「簡単に手に入るものに価値なんてないだよ」

ちなみに、と言ったのは村上龍です。

本が読まれなくなりつつあると、言われていますが、価値のある情報が「本」というメディアを媒介にするかどうかはわからないので、その言説自体を否定はしませんが、価値のある情報が一番最初に具現化されるのは「活字」以外にはあり得ないと思います。

オススメは、ミシェル・フーコー「監獄の誕生」。 自分たちが享受している恩恵が、まず自動化された権力だという認識を持つ必要性を感じています。



Book
監獄の誕生?監視と処罰

著者:Michel Foucault,ミシェル・フーコー

販売元:新潮社

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